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『最後の赤紙配達人』を見た

『シリーズ激動の昭和 最後の赤紙配達人』を見ました。

大津連帯区司令部で、密室で赤紙を書いていたという当時18歳の女性。
名簿の中に、将来を誓った人の名前を見つけてしまったのだそうです。
「私が、その人の名前を赤紙に書いたんです。
 私が書いたから、そのお人は亡くならはったのやと思ってます」
胸がつまりました。64年経った今でも、そう言って自分を責めておられるのです。
なんと残酷な仕事だったのでしょう…。
大切な人を、死なせるために送るのは、絶対に嫌です。

特攻隊はもちろん知っていましたが、‘人間兵器’には愕然としました。
80kgの潜水服を着て海の底に潜り、長い棒の先につけた爆薬で敵艦を突くとか、木造の小舟に爆薬を積んで突っ込むとか、正気の沙汰とは思えない…!
もっとも、正気だった人々は、‘非国民’として迫害された、狂気の時代だったのでしょうけれど…。

戦争のことを思うとき、私のような庶民は常に、‘殺される’側、‘傷つく’側で考えます。
生まれながらにして、‘戦争に人を駆り出す’側であろう某ソーリには、所詮人の苦しみや痛みは実感できないから、「‘しょうせき(傷跡)’」なんて言ってしまうのでしょうね。
あまりに嘆かわしいというか、恥ずかしい。

戦争を知らない世代の私には、本当は平和のありがたみさえわかっていないかも知れません。
でも、戦争のない平和な世界になることを祈らずにはいられません。
「知ることは、二度と繰り返さないための標」という言葉が、心に重く残りました。
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| TV & Radio & CM | 23:45 | comments:2 | TOP↑

COMMENT

ひょっとしたら?

戦争の被害の記録・証拠となるものの事を“戦争証跡(せんそうしょうせき)”と言ったりするのですけど。
“戦争証跡博物館”とか。
原稿では“証跡(しょうせき)”だった、あるいは、麻生首相の語彙で読み替えたんじゃないですか?

そもそも、原稿に“傷跡”と書いてあったと、誰が確認したんでしょう?
麻生首相が“しょうせき”と言ったから、多分、傷跡の誤読だろうと決めつけただけなのでは?

ひょっとしたら、また“いやさかえ”の時と同じく、勘違いの勇み足だったりしてね。

| どこかのだれか | 2009/08/11 00:23 | URL |

★どこかのだれかさんへ

どこかのだれかさん、はじめまして。

「命をとりとめた方も、癒すことのできない‘ショウセキ’を残すこととなられました」と読んだ原稿が「傷跡」だったという証拠はありませんが、「証跡」なのだという公式な言い訳アナウンスもないので、なんとも言えないですね。
ただ、文書ではないああいう場での発言として、「証跡」という日常的に馴染みの薄い単語を使うのは、いかがなものかと…。

長崎に落とされた原爆で亡くなられた方たちの多くは、一般庶民でしょう。
子どもたちにも容易にわかるような平易な言葉で、心からの哀悼の意を表して欲しかったと思います。

| ジェレ | 2009/08/11 01:33 | URL | ≫ EDIT















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